2012年5月30日水曜日

2.現代の子どもの成長と徳育をめぐる今日的課題:文部科学省


(1)社会環境の変化と徳育に関する今日的課題

○ 現代の日本の若者は、柔軟で豊かな感性や 国際性を備えていたり、ボランティア活動への積極的な参加や社会貢献への高い意欲を 持つ者も多く現れたりするなど、昔の若者にはなかったような積極性(※4)が見受けられる。

○ その一方で、現代の若者・子どもたちには 、他者への思いやりの心や迷惑をかけないという気持ち、生命尊重・人権尊重の心、正 義感や遵法精神の低下や、基本的な生活習慣の乱れ(※5)、自制心や規範意識の低下、人間関 係を形成する力の低下などの傾向も指摘されている。社会を震撼させるような、少年 が関与する事件の報道に触れ、子どもたちの規範意識について不安を感じる人も多い。

○ また、日本の子どもたちが、諸外国と比べ て「自尊感情」が低く、将来への夢を描けないという指摘もある。

(大人のモラル、意識・自覚の問題としての課題)

○ 「今どきの若い者は」 「子どものモラルが低下している」などの指摘は、いつの時代でも聞かれる言葉と言われる。大人が眉をひ そめるような子どもたちの言動も、当の大人が若いころに行動してきた場合もあるし、 価値観の相違から摩擦を生じる原因となる言動が、やがて時代の流れとともに社会に受 け入れられることも少なくない。さらに、新しい価値を希求する若者の文化が社会発展 の原動力となる場合もある。したがって、今の子どもや若者の行動が、昔の子どもたち と異なる行動だからといって直ちに否定されるべきではない。また、このような指摘に ついては、世代間の意識の差によるものであれば、対話によって理解を図り 、解決していくことも可能である。

○ むしろ、今、子どもたちの行動に対して指 摘される問題点の多くは、大人たちの問題でもあるのではないか。 子どもたちが、 将来大人となる際の手本となるべき今の大人が、手本となり得ていないという大人社会の問題 が、子どもに投影されているのではないだろうか。例えば、他人のことを思いやらず、 自分さえ良ければといった言動や、責任感の欠如した言動、真摯に努力することを軽視 するといった言動は、今の大人が行っているものであり、そうした大人に起因する問題 が、子どもの問題と受けとめられているからこそ、問題の解決に至らないのではないか。

2012年5月19日土曜日

奨学金 | 早稲田大学 大学院法務研究科(法科大学院)


トップ > 入試情報 > 奨学金

早稲田大学大学院法務研究科では、将来、優秀な法曹として嘱望される能力を持ちながら、経済的理由により修学困難な学生に対して、学内給付奨学金や公的な貸与奨学金のほかに、当研究科独自の「稲門法曹奨学金」など、各種奨学金制度の充実をはかり、学習の機会が失われないよう特段の配慮をしていきます。

2009年度入学者より、稲門法曹奨学金の採用者数を大幅に拡充いたしました。
また、2013年度入学者から稲門法曹奨学金に学費相当額の枠を設けました。
詳細は下記「稲門法曹奨学金」の項をご確認下さい。

早稲田大学出身の法曹(稲門法曹)の寄付からなる奨学金です。将来、当学が誇れる法曹として、実社会で活躍できる優秀な人材の育成を目的とします。
詳細は下記「稲門法曹奨学金」の項をご確認下さい。

当学の創立者大隈重信を記念し、建学の精神を顕揚し、人材の育成に資することを目的とします。

当学の設立当初の功労者小野梓を記念し、修学上、特に経済的に困難な学生を援助することを目的とします。

早稲田大学出身者で構成する校友会の寄付からなる奨学金で、経済的に修学困難な学生を援助することを目的とします。

早稲田大学創立125周年を記念して新設された奨学金で、学業成績優秀で経済的に修学困難な学生の支援を目的とします。

2012年5月18日金曜日

辺野古浜通信



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上関が緊迫しています。
より多くの方の注目が、企業には足かせになります。
夜中にこそこそと作業することもそのひとつです。
沢山の目と耳と口と、行動で、祝島を支援してください。

虹のカヤック隊のブログに注目してください。

【緊急】【転載歓迎】
山口県 上関原発問題続『上関の海が危ない!』

中国電力が台船を動かしました!

20時(9月9日)に周防大島の小松開作を出港、約6時間後の深夜2時ぐらいに上関原発建設予定地に着く予定と思われます。

2012年5月16日水曜日

減量の英語·英訳,減量の例文,減量の英語訳·翻訳 - 和英辞典 WebSaru辞書




減量の英語·英訳,減量の例文,減量の英語訳·翻訳 - 和英辞典 WebSaru辞書

WebSaru辞書 > 和英辞典 > 減量を英語に訳すと

減量の英語と読み方


[げんりょう]

2012年5月15日火曜日

夢のもつれの哲学1:日本人は無宗教か?  史上最大の発明  なぜ数学を勉強するのか?  かのようにの哲学  稲垣良典:トマス・アクィナス  マルコム・E・ラインズ:物理と数学の不思議な関係  ゾロアスター=ツァラトストラ=ザラストロ  アキレスと亀  ウソつきは信用されない  プラトン:ソクラテスの弁明、クリトン、饗宴(シュンポジオン)


夢のもつれの哲学1:日本人は無宗教か?  史上最大の発明  なぜ数学を勉強するのか?  かのようにの哲学  稲垣良典:トマス・アクィナス  マルコム・E・ラインズ:物理と数学の不思議な関係  ゾロアスター=ツァラトストラ=ザラストロ  アキレスと亀  ウソつきは信用されない  プラトン:ソクラテスの弁明、クリトン、饗宴(シュンポジオン)

 

 

philosophy1

 

 

日本人は無宗教か?

史上最大の発明

なぜ数学を勉強するのか?

かのようにの哲学

稲垣良典:トマス・アクィナス

マルコム・E・ラインズ:物理と数学の不思議な関係

ゾロアスター=ツァラトストラ=ザラストロ

アキレスと亀

ウソつきは信用されない

プラトン:ソクラテスの弁明

     クリトン

     饗宴(シュンポジオン)

 

 


  

 日本人は無宗教か?

 

 死の商人と言えば武器・弾薬を売る人のことを言いますが、私は宗教家というのも同じような気がしています。ふつうの日本人が何かの宗教に入信する動機は、たいていが自分か家族の病気や死です。つまり人の弱みにつけ込んで誘うわけで、不幸は信者獲得の絶好の機会であるわけです。

  急いで言っておきますが、死の商人というのはもちろんたちの悪い冗談で、ふつうの人たちはそれだけ死というものに無関心か、無意識に遠ざけているということです。だからこそメメント・モリ(死を忘れるな)という中世キリスト教の言葉が今も強い説得力を持つのでしょう。

  地下鉄サリン事件から10年が経ちました。あの時、いろいろなことが言われましたし、正しい意見も少なからずあったと思いますが、「正しい宗教ならあんなことはしない」といった意見と、「科学を学んだ者がオウムなんかに入信するなんて」といった意見は違うなぁと思いました。

  たとえオウムが宗教としては、麻原の空中浮遊に見られるようにインチキであったとしても、入信の動機(それが自分の病気や家族の死と関係していても、いなくても)に「なぜ自分は生きるのか」とか「なぜ自分は死ななければならないのか」という普遍的な、かつ理性では解決不可能な疑問が横たわっていたのであれば、それはやはり宗教の問題だろうと思います。同時に理性で真理を発見しようと希求する科学者であればこそ、こうした疑問に捕らわれやすく、徹底的に追求してしまいやすいのだろうと私は想像しています。

  それ以上に困ったことに、宗教は純粋で活力があればあるほど「いけにえ」を要求します。倫理的には絶対的な悪である殺人や殉教という名の自殺を求めるのです。それはイラクやパレスチナで起こっていることを見ればある程度理解していただけると思いますし、60年前に特攻隊という「自爆テロ」を行っていた日本人が無自覚に批判できるものでもないと思います。

  でも、一般的には日本人は無宗教だと言われます。神社に初詣に行くし、葬式ではお経が流れるし、何よりクリスマスはいちばんのお祭りだし……だのにふだんは神道にも、仏教にも、キリスト教にも関心がないと。それって(信者から見れば)無節操だとは思いますが、無宗教の証拠にはならないでしょう。特定の宗教にこだわらないだけです。

  新年に自分と家族の幸福をお願いし、死者の冥福を祈り、年末に彼女(又は彼氏)との強い絆を求めるwのは、ごく自然な感情です。昔から学問成就は天満宮、安産祈願は水天宮、商売繁盛は戎神社と、神様を使い分けしていたのと同じです。つまり、やおよろずの神にお釈迦様やイエス様が入っているのです。

  こういうふうに言うと、「おまえがごたまぜが日本の宗教って言うんだったら、その精神や教義がわかるような、聖書みたいなものを見せてくれ」って詰め寄られますよね。でも、そういうのはないんですよ。古代ギリシア・ローマだって同じで、神話しかありません。多神教ってそんなものです。だって、アニミズム、何にでも神的なものが宿るって考えですから、福音書みたいなストーリー展開も、パウロの手紙みたいな論理展開もむずかしいです。だいいち布教の必要もないし。

  苦しまぎれに言うと、宮崎アニメかなぁ……「千と千尋」とか「もののけ姫」とかにはアニミズムが満ちています(「ハウル」はまだ観てません)。だから、あんなに人気があるんでしょうし、そういう意味で日本人(こんなふうに一括りにされるのが嫌な人は多いでしょうけど)は、変わっていないとも言えるでしょう。ふつうは自然志向みたいに理解されてるんでしょうけど、なぜ宮崎アニメが(経験したことのない人にも)懐かしさを感じさせるのかはそれでは解けません。

  気づかれた方もいらっしゃるでしょうが、アニミズムもアニメーションも、アニマル浜口wも同じ語源です。アニマとは「魂」という意味なのです。魂を持つから動くので、「トトロ」のどんぐりがみるみる大樹になる、あのイメージです。

 


 

 史上最大の発明

 

 世界三大発明というと活版印刷、火薬、羅針盤だそうで、ヨーロッパの覇権確立という観点から言って肯けるものがありますが、私は現在のアメリカの隆盛とイスラム世界の台頭ぶりを見ると、一神教こそが人類史上最大の発明ではないかとひそかに思っています。宗教が発明品だなんてとんでもないことを言ってるようですが、(仏陀やキリストやムハンマドのように)宗祖のいる宗教はそう理解した方がわかりやすいでしょう。

 キリスト教もイスラム教もユダヤ教から分離したり、それに触発されたりしてできたものですから、大本は古代ユダヤ人の発明です。誰が宗祖かと言うと紀元前10世紀より前の話のようですから、よくわからないところが多いのですが、モーゼがいちばんの候補でしょう。ただ旧約聖書では当然のことながら、モーゼ以前から唯一神ヤハウェ(エホヴァ)への信仰があったことになっていますから、「発明者」が誰かははっきりしません。

 神が唯一だという概念自体は、今となってみれば不思議でも何でもないかもしれませんが、それを最初に主張するのは天才のみが可能な思想的飛躍だと思います。前回でも少し述べたように畏怖の念を抱くものにそれぞれ神や霊が宿るというアニミズムの考えの方がわかりやすいですし、現に他のほとんどの古代宗教はそうなっています。つまりアニミズムから相当程度の抽象的思考を経なければ神の数は減りません。リストラは常に痛みを伴いますw。神の数を減らすことは、例えば家や部族のそれぞれの守護神を滅ぼすことでもあったはずです。

 数が減ってきても最大の問題があります。それは二項対立の克服です。最古の超民族宗教だと思われるゾロアスター教が善と悪、古代中国の陰陽五行説が男性原理と女性原理となっているように、抽象化が進んでもなかなか一つになりません。なぜなら神が唯一であればそれは善なる神でなければならず、善なる神だけがこの世界を支配しているとすれば、なぜ悪や不幸があるのだということになってしまうからです。これに対し、二項あればお互いの闘争とか、交代とかで説明できる、つまり最終的に善が勝つまでの過渡期とかなんとか言っておけばいいからです。

 ユダヤ教が神を一つに絞り込んでいったのは、それだけ古代ユダヤ人の置かれた状況が厳しかったことが大きな要因でしょう。出エジプトだとかバビロン捕囚だとか、まあ強大な民族の通り道で民族のアイデンティティーを維持するのは容易ではなかったでしょう。強力な権力の確立が困難だったので、強力な権威を創造し、求心力を保ったのです。そして、それは現代に至るまで(最強国家のアメリカの中で強いポジションを占めているという意味も含め)有効なわけですから、ユダヤ教は宗教的天才であり、かつ政治的天才の産物なのです。

 ただ、全知全能の神の下でなぜ悪や不幸があるのかというテーマは残るわけで、いわゆる弁神論として追求されていきます。嚆矢は有名なヨブ記ですが、悪魔が敬虔なヨブにありとあらゆる不幸を与えて信仰を試すという極めて文学的な内容で、現世利益がなくても信仰は可能かという、殉教までつながるような永遠のテーマを含んでいます。「主は与え、主は奪う」というヨブの叫びは、ユダヤ民族全体の声であり、一神教の特徴を端的に表わしています。

 ユダヤ教は民族宗教として排他的であったからこそ、一神教として成長できたのだと思います。キリスト教もイエスの存命当時は、ユダヤ教内の分派活動で、仏教ふうに説明すれば出家(パリサイ人など)への在家からの批判運動です。

 それを超民族宗教に拡大したのは広く知られているようにパウロであり、その地盤を作ったのは超民族国家であるローマ帝国、つづめて言えばカエサルです。つまりイエス個人とキリスト教は無関係だというニーチェの指摘は、正しい面があると思います。

 ただ超民族宗教への脱皮も一挙にできたわけではもちろんなくて、教父と呼ばれる人たちの地道な布教活動と公会議による分派活動の抑圧と正統的権威の確立によるところが大きく、外典・偽典の存在自体が聖書の編纂が政治的意味合いを持っていたことを示しています。また、アリストテレスや「一者からの流出」という重要な概念を提示したネオ・プラトニストたちの影響を受けて、トマス・アクィナスに至る多くの人の努力により思想的に洗練されたことが挙げられるでしょう。トマスによってキリスト教神学=ヨーロッパの中世思想は頂点に達したのです。

 他方、イスラム教についても同じような状況があったようです。すなわち、急速な版図の拡大と思想的な分裂、危機を乗り越えて、ムハンマドの教えはイスラム教として確立してきたのです。イスラム教哲学については、私は井筒俊彦の著書を通してしか知りませんが、アリストテレスから出発しながらキリスト教とは違った非常に高いレヴェルの思想を形成していたようです。

 さて、ずいぶん退屈な説明を続けてしまいました。要約して言えば、超民族的な一神教の確立には、強力な政治権力と哲学的な鍛錬が必要だった、それだけ人工的なものだと言いたかったのです。

 ただユダヤ教やイスラム教と比べて、キリスト教は現実的というか、妥協的というか、まあいい加減なところが多いように思います。クリスマス自体が土着信仰の冬至祭に由来するものですし、その他の年中行事も古ゲルマンなどの信仰を取り入れたものです。そうすることによって、信者を獲得しやすくしたわけです。日本のお寺がお彼岸やお盆に祖先の霊を弔うようになったのとちょっと似ています。キリストの磔刑像を拝む偶像崇拝や聖母信仰や多くの聖人のような多神教的傾向は、絵画を始めとした文化の発展に大きく寄与しましたが、プロテスタントを産む背景にもなっているように思います。

 現在では、活版印刷がDTPに、火薬が核兵器に、羅針盤がGPSにそれぞれとって変わりました。しかし、アメリカとイスラムという一神教勢力どうしの妥協を知らない葛藤は、十字軍対ジハードの昔と変わりないように見えます。日本みたいな国にとっては迷惑千万なことです。強固な信仰は人間の偉大さを見せてくれる一方で、核兵器以上に危険なこともあると思います。

 


 

なぜ数学を勉強するのか?

 

 1.いちばん嫌いな教科

「いちばん嫌いな教科は?」と訊かれれば数学がダントツでしょう。その傾向が小学校、中学校、高校と上がっていくにつれて加速されているという記事を読んだことがあります。文系、理系の志望動機も数学ができるかどうかがカギのような気がします。であれば、数学なんか社会に出て何の役に立つのだ?という八つ当たり的な疑問が湧くのも当然でしょう。

 確かに研究者や技術者になって数学を日常的に使う仕事に就かない限り、四則演算程度、すなわち算数ができればいいとも言えます。確か菊池寛だったと思いますが、実社会に出て数学の知識が役立ったのは「三角形の二辺の和は他の一辺より長い」だけだ、まわり道をしなくてすむからと言ったそうです。また、これもうろ覚えですが、高名な作家が数学なんか知らなくても自分は何も困らなかったとのたまわったそうです。よほど数学に苦しめられたのでしょうw。

 かく言う私も数学は大の苦手教科で、上に書いたことは学生時代の自分の心の叫びwを今になって代弁したようなものです。数学が受験科目からなくなるなら、学校の窓ガラスを何枚でも割ったでしょうw。

 数学なんか実生活で役に立たないじゃないかという疑問に対する答えも記事にあったようです。探すのが面倒なので、かなり適当ですが(どなたか教えていただければ幸いです)、論理的に考える訓練になるからというのがあったと思います。これは例えば英単語を覚えれば記憶力の訓練になるからというのと同様で、なぜ数学でなければ論理的思考の訓練にならないのかが答えられていない(十分条件が証明されていない)という意味で、少なくとも数学者の答えではないでしょうw。

 数学は自然科学のあらゆる分野で使われているからという答えもあるでしょう。自然科学だけでなく、経済学などでも微積分がわからない学生が入学してきて困っているという話を聞いたことがあります。一芸入試だか、AO入試だか知りませんが、基礎の基礎を知らない学生が入ってくるようにしたからで、自業自得だと思いますけど。……ともかくこれも比喩で言うと、英語は実態上世界共通言語だからと言うようなもので、説得力はさっきのものよりあるでしょう。ただ、数学を使うような学問や仕事には寄りつかないという受験生は、外国にも行かないし、外国人とも話なんかしないという強情なw受験生の数より多いでしょう。どちらも自分の可能性の範囲を狭めていることには変わりないですが、狭くして困る度合いは英語� �方がずっと大きいだろうなぁと思います。

 これ以外には、役に立とうが、立たなかろうが数学は人類の英知の結晶なんだから文句言わずに勉強しろ!っていうのもあるでしょう。私は個人的にはこう言ってくれる人が好きです。なぜ人類の英知の結晶なのかをきちんと説明してくれればですけどw……なぜ古文、例えば源氏物語なんかを勉強しなきゃいかんのだという問いの答えとしてはこういうのしかないなぁと思います。でも、現国なんかで作家が死んだ途端に(時には死ぬ前に既に?)忘れられるような小説をなぜ読まなくてはならないのかという問いには、もうつべこべ言わずに勉強しろ!しかないでしょう。

2012年5月13日日曜日

简历


       

《发挥创意教孩子》:幼教是一门大学问

我国台湾著名心理学家郑石岩先生是融合心理学、教育学与禅佛学于日常生活应用的倡言人。他从事心理咨询与教学研究三十余年,出版著作四十余本,曾获台湾辅导工作优良贡献奖、优良图书金鼎奖。笔者近日读到江苏教育出版社出版的郑石岩"教育大爱"作品系列之一《发挥创意教孩子--培养主动学习、乐于上进的教育新点子》,深感作者对于教导孩子这一人类重大课题的关切与睿智。书中有作者随缘观察的心得,有实务经验的发现,有理论的引用,也有对现实生活的响应。作为一名教育理论工作者,我对郑先生"化理论为实践、化学问为生活"的价值取向和责任担当深表敬佩。以下是笔者阅读《发挥创意教孩子》之后的几点体会,愿与有兴趣的读者交流、分享。

    一、创意地教导孩子是一门大学问

    家庭是孩子孕育学习态度、养成生活适应能力和增进积极健康心理品质的摇篮。家长是子女健康成长的第一责任人,是孩子天然的教导者。然而,许多家长缺乏教育子女的专门知识与技巧,他们通常都是"无证上岗",或是基于个人有限的生活经验教导孩子,其教导方式较为狭隘、武断和机械,由此导致了许多无法弥补的损失和遗憾。为了孩子的前程,有许多家长放弃了自己的追求和幸福,把自己弄得心力憔悴、筋疲力尽,到头来却不一定给孩子树立了好榜样,孩子的成长也不一定令家长感到满意。对此,郑先生指出,管教有原则,过度牺牲不是美德。

    在郑先生看来,教导子女的知识和技巧,父母所知越少就越缺乏弹性和创意,方法就越僵化和武断。经过多年的观察,我发现对孩子最大的伤害是疏远、遗弃和虐待,最宝贵的是抚爱、喝彩和分享经验。鼓励的话一生受用,贬抑的话终生受创。有许多人对自己的子女抱着爱之深、责之切的态度,习惯性地批评孩子的缺点,让孩子的信心和自尊受到重创,却不能觉察知晓。为了提高教育效能,使新时代孩子适应高科技的社会生活,教育越来越需要专门知识和技巧。

    创意地教导必须通过学习,才能建立起码的认知基模(心理图式),并将这种认知基模转化为日常教导行为。正如郑先生所言:我相信创意的教导,能引导孩子主动好学,陶冶良好的情绪习惯,培养思考和解决问题的能力,发展生活和生涯的适应力,从而建立其生命的意义与价值系统。

    二、创意地教导孩子是一种大智慧

    教导孩子需要有弹性思维、情绪智力和平等观念。我们每个成年人,基于自己的成长经验,通常养成了一种固化或刻板的思维方式,这种思维方式放在教育孩子上,常常会出问题。而创意是一种弹性思考,透过它我们能面对现实,思考解决问题。有些家长常常在自己情绪不良的状态下教导孩子,缺乏同理心和平等意识,这恰恰是教导孩子之大忌。对此,郑先生的忠告是,教育子女不能依赖打骂,别贪眼前暂时的效果而让副作用贻害一生。作为家长,要真正进入到孩子的内心世界,与孩子坦诚交流,直面现实问题,懂得欣赏和分享孩子的学习心得或成果。

    家长不仅要"管束"孩子,而且要"引导"孩子。哲学家康德认为,"规训"是对偏离人性的行为的否定,"教导"则是对保全人性的行为的肯定。在郑石岩先生看来,父母不仅要约束、规范孩子的行为,还要启发孩子的思考,帮助他们解决问题,从经验的积累和情绪的陶冶中发展他们的创意。创意的管教不是高压的管理或权威的控制,而是把握心理学和教育学方法,透过同理心有效地教导孩子,并达到矫正偏差行为、培养正确习惯、启发心智成长、发展品行和开展精神生活的目的。

    要积极营造有利于孩子成长的环境。孩子早期的生活经历对其心智发展影响很大,家长所建构的家庭环境,对孩子的人格发展、学习态度和生活适应力,具有决定性的影响。用创意引发、鼓励和协助孩子,保持正确的教导态度,这些都是新时代家庭教育的软件。在《发挥创意教孩子》一书中,郑石岩先生花了较多的笔墨讨论家庭如何营造有利于孩子成长的环境问题。如对孩子始终保持比较高的成长期望、避免将家长的欲望(野心)当作孩子未来的希望、投注更多的精神和时间经营家庭生活、经常陪伴与妥善照顾并懂得喝彩、通过沟通使彼此听懂对方的话、不为管教争吵、不被孩子激怒、提防错待孩子、避免无意的伤害、善待别人的孩子,等等。这些都是营造积极健康的成长环境,培养主动学习、积极进取、快乐成长的孩子的有效策略。

    三、培养诗意的孩子是一个大目标

    在郑先生看来,我们教导今天的孩子,一定要立足于他们明天的需要。家长切忌按照某种模子管教、束缚孩子,而是要关注他们发展的主动性和多样性。孩子们未来的发展取决于许多方面的因素,而主动适应生活的能力、主动进取学习的态度和积极健康的心理品质是三个最为重要的方面,家庭教育需要在这三点上下真功夫。

    培养主动适应生活的能力。丰富的生活经验对孩子心智的成长与将来的社会适应,有着决定性的影响。生活适应力决定一个人的幸福和职场上的表现,它是一个人生涯的主轴,而且具有一贯性,影响及于终生。如果不重视生活调适能力的陶冶,孩子将会在承受变迁、竞争和学习压力下,变得焦虑、退却或身心失调,往后各阶段的成长和成熟,都将受到干扰。许多父母虽然花费很多心血照顾孩子,却把孩子照顾成脆弱和被动。称职的父母在照顾和陪伴中,总是记得给孩子学习、尝试和克服挫败的机会,因为孩子是在自己的生活经验中学习成长的。家长要善于创造机会,提供孩子学习适应生活的本事,并透过这些经验,发展出能干、坚毅和待人接物的品行。其要点是:在生活中培养孩子坚毅的性格、教孩子待人接物的基本规范、教孩子明了� �理和通情达理、指导并陪同孩子做家事、指导孩子建立良好的生活习惯、注重孩子的道德陶冶。

    启发主动进取学习的态度。信息化时代高科技的发展日新月异,经济生活及生产方式快速变迁,知识的半衰期缩短,如果不注意主动学习态度的培养,当孩子进入现实社会,原来赖以维生的知识或技能,很快就会不敷使用而遭到淘汰。孩子的主动性,就是他生命的活力。主动才会好奇探索,观察思考,从中得到喜乐和经验;主动才会去尝试、学习,开展其人生,实现他的美梦。有许多父母苦苦地追求孩子的考试分数,把焦点放在被动的补习上,疏于重视主动学习的引导。而孩子们一旦养成被动吸收知识的习惯,就会失去主动求知的兴趣、好奇心和敏锐的观察力,他们适应变迁的能力,也会大大地萎缩。所以家长必须重视孩子主动学习态度的养成,引导他们学习如何学习的能力,熟悉科学思考的方法,让孩子在未来的人生阶段有能力不断� �习新知能和谋生本领。其要点是:引导孩子的好奇心和主动性、激发孩子的自尊感和自信心、指导孩子展开科学观察与探究、培养孩子解决问题的能力、开展各种创造活动、允许孩子体验与尝试、培养孩子专注的能力、传授有效学习的方法、用鼓励代替贬抑。

    培养积极健康的心理品质。身为父母或师长,都应该重视这个课题,因为它是个人幸福的基础,也是发展亮丽人生的凭借。脆弱的家庭往往培养出脆弱的孩子。成人情绪化的行为、不负责任和任性的生活态度,以及伴随而来的冲突、沮丧和绝望,会使天真活泼的孩子性格丕变,并由此影响到他们一生的成就与幸福。父母在教导孩子时要发挥创意,一方面预防孩子心理和情绪受到伤害,一方面要积极增强其自我功能。其要点是:帮助孩子推开惧怕的窄门、防范校园恶霸的伤害、注意孩子闹情绪和攻击的行为、预防虚拟人格特质、帮助孩子伸展自尊。

    读完《发挥创意教孩子》,收获良多。感慨最深的一点是,我们在教育孩子方面,有太多的随意、刻意。许多家长处心积虑、用心良苦,却并不知晓教育孩子需要有创意,要讲科学和艺术,要知其然并知其所以然,要有所为有所不为。为了孩子们的健康成长和美好未来,为了培养出更多充满活力和诗意的孩子,我们一定要认真学习、躬身实践教导孩子的专门知识和艺术。

知书即达理 阅读即教育

2012年5月12日土曜日

ステップ5:質的研究におけるデータ分析


 データ収集が進むにつれて、研究日誌や観察ノート、オーディオテープやビデオテープ、資料が増加していき、研究が進んでいるという充実感を感じることがあるでしょう。それに比べ、これらデータの山から焦点化された結果を導きだす作業では、「こんなにデータを集めて何カ月もデータ整理をして、自明な結論しか出てこなかったら、どうしよう」と不安やストレスを感じることが多いものです。データ収集中から、データ分析を少しづつ進め、成果への見通しがつくようにしておくことが大切です。データ収集の途中で行う分析作業には、以下のように、大きく分けて、研究課題に関するものと研究方法に関するものがあります:

1 研究課題について
  研究の焦点をどこに絞るかを検討する
  研究課題を明確化していく
  研究課題に関連する問題や仮説を様々に立ててみる
  自分の立てた仮説を随時フィールドでチェックする
2 研究方法について
  データ収集計画を随時見直す
  観察ノートや研究日誌に、研究課題についての考えを書き留めていく
  研究のモデルを明確化する
  関連する文献を読む

 質的研究の進め方は、質的アプローチの実験研究と違って、予めきちんと仮説や理論を定式化しておいてそれをデータで検証するという「仮説検証型」を通常はとりません。むしろ、研究を進めていく中で仮説や理論を生み出していくというもので、「仮説・理論生成型」とでも呼べるでしょう。したがって、フィールドに入ってデータを収集しながら、研究課題に関わって様々に自分なりの仮説や理論を思いめぐらしていきます。例えば、私は、ある中学校で授業の観察を始める前には、「中学校2年生の図形の論証の学習に困難を感じる生徒が多いといわれているが、一体どのような指導がされているのだろうか」という漠然とした研究課題しかもっていませんでした。一旦、授業を見始めると、「証明」という考え方を理解� ��ること、特定の証明のアイデアを理解すること、証明を話して説明すること、証明を書くこと等々、論証に関わっていろいろな営みがあることに気が付きました。すると、これらがいづれも同じ重要性をもつのだろうか、お互いがどのような関係にあるのだろうか、何がキーになるんだろうか、と考えをめぐらし続けました。そこで、例えば、あるときは、「証明を書くことは、証明を口頭で行うことと同じではない」と暫定的に仮説を立てて、証明の書き方の特徴やその指導の局面に焦点をおいて観察やインタビューを進めてみたりしました。すると、例えば、「口頭では証明がうまくできていても、書くことがスムーズにできない」場面のデータを注意深く見ていくことになるでしょう。その結果、証明の書き方の特徴についてさま� �まな仮説を立てることができるでしょう。こうして、仮説・理論の生成(または修正)と関連するデータの検討とが交互に繰り返されていくのです。
 このようにして研究の焦点を研究課題に照らし合わせながら絞っていき、データ収集をそれを中心に進めていくことが大切です。これを怠ると、量は多くても散漫で表面的なデータばかりになり、研究課題への理解が深まらないままに終わる危険があります。
 このとき、データ収集の方法も、生成された仮説や理論を検討しやすいように工夫します。例えば、前出の「口頭では証明がうまくできていても、書くことがスムーズにできない」場面を調べるために、そういう場面を示した生徒をインタビューするのもよいでしょう。また、そのときに、証明問題を課して取り組んでもらい、どういうところが難しいか話してもらうのも役立つでしょう。どの生徒を選ぶか、どういう証明問題を選ぶか、どういうふうに質問� �たらよいか等々について、それまで得ている観察データやフィールドの人々ないしフィールドをよく知っている人々の意見などをもとに研究者は意思決定をしなければなりません。
 したがって,観察にしてもインタビューにしても,それまでに得られたデータの暫定的な分析に基づいて,次の観察やインタビューの仕方を変更していく必要があります.量的研究では,たとえば,アンケートの質問項目はすべての被験者に対して同一でなければならない,という制約があります.どの被験者にも同じ条件でデータを集めることによって,一般性を保障しようとしているからです.しかし,質的研究では,一般性の保証よりも,現象への深い理解を追及します.それゆえに,現象理解を深めるのに役立つと考えられるなら,インタビュ� ��の内容を変えても構わないのです:

 

 

 

 

 

 

 

 仮説や理論がフィールドで生成された経緯やデータ収集の方法に関する意思決定の過程については、フィールドノーツに必ず書き留めていきます。たとえば,観察やインタビューの仕方をどういう理由でどのように変更したのか,その検討の過程を書き留めておきます.仮説や理論をデータに適合したものへと洗練していくためや、意思決定をデータに基づいて注意深く進めるために、書き留める作業は不可欠です。さらに,書き留めることは、研究の焦点を明確化するのに役立ちます。
 研究の初心者は、フィールドではデータ収集だけで精いっぱいで、以上のような分析をする余裕はあまりないかもしれません。研究の仕方を身につける最もよい方法の一つは、他のすぐれた研究をモデルとして利用することです。研究がどういう過程で進められ、最終的にどういう成果が得られそうなのかの見通しを、そのモデルをもとに予想していくとよいでしょう。関連する文献の中から自分の研究のモデルになりそうなものを探しておくとよいでしょう。

データ収集後の分析

1. コードとカテゴリー

 データの収集中に、研究で追究したい課題を具体的で明確な形にしておきます。データの分析は、その研究課題に応える形で進めていきます。質的研究において設定される研究課題では、教育現象の当事者たちが作り上げている世界の理解を基本としており、当事者たちが置かれている状況や脈絡、当事者がもつ見方・考え方・感じ方、当事者たちの行為の意味やその機能、を理解することが中心的な部分となります。したがって、データ分析では、それらを捉えるためのヒントや手がかりとなるものをデータから抽出して分類する作業をします。
 では、当事者たちが作り上げている世界を理解するためのヒントや手がかりとなるものには一体どういうものがあるでしょうか?これは、私たちが見知らぬ土地に引っ越したときや海外にしばらく滞在したときに、その土地の人々の生活の様子を理解しようとするときに自然と目をつけるものと同じです: 当事者たちの生活の中に、繰り返し現れて際立つコトバ、話題、行動パタン、出来事などです。
 それら繰り返し現れるものものに気がついたら、それらをうまく言い表す名称や文句をそれらにつけます。これら名称や文句は、コード(code、符号)とよばれます。データの分析は、データを丹念に読んでコードを考案し、コードをデータにふっていく作業から始まります。同じデータに複数のコードをふっても構� ��ません。コードをふることによって、データが分類(カテゴリー分け)されて整理されていき、データ全体を研究者の視野内におさめることが可能になります。
 ここでデータの分類の際に作られるグループは,何らかの概念的まとまりがあるものにします.概念的に無意味なグループを作っても現象の理解に役立たないからです.コードはグループの目印,名称,ラベルであり,グループを作るときにもとにした概念的なまとまりが,「カテゴリー」(または,概念と呼ぶ場合もあります.)とよばれるものです.この「カテゴリー」は,当事者の営みに関するデータから生成されてくるので,当事者が理解の枠組みを反映していると期待されています.

2012年5月10日木曜日

Amazon.co.jp: わくわくする数学 日常生活の中に見つける美と驚きの世界: ロブ・イースタウェイ, 岩谷 宏: 本


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5つ星のうち 4.0 パズル好きにはたまらない, 2009/8/30

レビュー対象商品: わくわくする数学 日常生活の中に見つける美と驚きの世界 (単行本)

数学という言葉がタイトルについているので、すくし毛嫌いされる向きもあるかもしれないが、そんな心配を見事に吹き飛ばしてくれる。
"おー""そうか!""はっはっは!!"を目指して書いたそうだが、納得だ。

いくつか、「頭の体操」でみた問題もあったが、全般に楽しめる。

良い点
1)問題の区切りが適切で、わからないところがあってもどんどん読み飛ばせる
2)表現が平易で、堅苦しくない
3)算数、数学嫌いも読んでて楽しい

確率の所なんかを読むと、TVドラマの"ライヤーゲーム"をもう一度見たくなった。
DVDでも借りに行きますか。

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2012年5月9日水曜日

教員紹介・山本達三


論文・著書:

 ・ 体力・運動能力の変化に対する年齢・時代・コウホート効果の分離,子どもと発育発達, Vol.5 No.4, 232-233,2008

 ・ 日本人の体格の推移に対するコウホート分析〜BMIに着目して〜,子どもと発育発達,Vol.5. No.4. 234-235,2008

 ・ 加齢・時勢・世代の要因からみたスポーツ参加の変動パターン,スポーツ産業学研究, 16 (1), 25-42, 2006.  (平成18年度日本スポーツ産業学会奨励賞論文)

 ・ レジャー白書2006, 第2部 余暇活動参加人口の将来予測, pp105-112, 2006.

 ・ スポーツ参加人口の推定と予測---年齢・時代・コウホート効果・人口変動を考慮して---, スポーツ産業学研究, 12(2), 33-46, 2002.

 ・ スポーツ・レクリエーション参加のコウホート分析. 文部科学省統計数理研究所共同研究リポート160, 1-84. 2003.

2012年5月7日月曜日

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2012年5月6日日曜日

京都大学数理解析研究所 - 数学入門公開講座 バックナンバー -


2011年8月1日-8月4日(第33回) 演題及び講師


マルコフ連鎖と混合時間 ーカード・シャッフルの数理ー  熊谷 隆

 トランプをするとき、ゲームの前にカードがしっかり混ざるようにカードを切り(シャッフルし)ますが、何回くらい切ればカードがよく混ざってくれるでしょうか?この問題は、一般にマルコフ連鎖が定常分布に近づくのにかかる時間(混合時間)を調べる問題として設定することができます。このような定式化の下、トランプを大体7回切ればよく、しかも7回前後で急に「よく混ざった」状態になることが、今から20年ほど前にP. Diaconis教授らによって証明されました。
 この講義では、カード・シャッフルなどの具体例を念頭に置きながら、マルコフ連鎖とその混合時間について解説します。「急によく混ざった状態になる」という現象(cut-off現象)についても定式化し、具体例を通じてどのようなときにこの現象が起こるかについても触れたいと思います。

微分方程式の不確定特異点     望月 拓郎

 方程式を理解するための一つの指針は、与えられた方程式を簡単なものに変換することでした。 例えば、連立一次方程式は行列に関するなじみ深い操作で簡単な形のものに変形することによって理解できました。
 この講座で興味を持つ題材は、複素領域上の「可積分な線形微分方程式系」です。特に方程式の特異点のまわりにおける性質、いわゆる局所的性質に興味を持ちます。より粗い言い方をすると、特異点のまわりでどのぐらい簡単な形に変換できるか、が問題です。一変数の場合には、福原満洲雄を含む先人達による古典的な研究があり、確定特異点という比較的易しい特異点の場合にはモノドロミーによって分類されること、より難しい不確定特異点の場合にはモノドロミーとストークス構造によって分類されること、などが知られていました。多変数の場合にどうかを問うのは自然です。確定特異点の場合には一変数の場合とほぼ同様であることが以前から知られていました。一方、多変数の場合の不確定特異点の研究は最近になっ� �進展があり、代数幾何におけるブローアップとよばれる操作を組み合わせることで、比較的簡単な形に変換できることが示されました。この講座では、一変数の古典的な話の復習から始めて、最近の発展までを概説したいと考えています。

特異点解消入門     川ノ上 帆

 爆発と呼ばれる操作を繰り返すことにより代数多様体を非特異なものに取り替えることを特異点解消といいます。廣中平祐先生は1960年代に標数0の場合に特異点解消がいつでも可能であることを証明し、フィールズ賞を受賞されました。今や特異点解消は標数0の代数幾何学において基本的かつ必要不可欠な道具となっています。
 廣中先生の証明は「廣中の電話帳」と呼ばれ長大さと難解さで夙に有名でしたが、近年の研究により大幅に簡易化されました。本講義では、超曲面の場合について特異点解消の証明を紹介します。時間が許せば正標数の場合の最近の進展についても簡単に紹介します。

2010年8月2日-8月5日(第32回) 演題及び講師


グラフ理論から組合せ最適化へ     岩田 覚

 ケーニヒスベルグの七つの橋を一回ずつ通る周遊路を求める問題が、オイラーの一筆書き定理によって否定的に解決され、グラフ理論の端緒となったことはよく知られています。それでは、全ての橋を少なくとも一回ずつ通って元の点に戻る周遊路のうちで、長さが最短のものを見つけるにはどうしたらよいでしょうか? このような問題設定は、20世紀の半ばになって提起され、線形不等式系の理論を援用した効率的な解法が与えられました。
 本講義では、この解法を中心に、グラフ上の最適化問題と多面体の整数性、アルゴリズムの計算量と良い特徴付けについて、解説します。

スライド

自然現象を数理的に理解する --自己組織化現象の数理解析--  上田 肇一

 自然界には、砂丘の風紋、雪の結晶、魚の模様など様々な美しい模様が存在し、そのような模様には規則的に見える幾何学的なパターンが存在します。そのようなパターンは、あらかじめ設計図が与えられているのではなく、粒子や分子などの個々の要素が、基本的な物理法則に従って運動することで模様を作ることから、自己組織化パターンと呼ばれています。自己組織化パターンは見た目に美しいという魅力に加えて、生命活動において重要な役割をしていることが知られており、現在、数学を含む様々な分野で盛んに研究されています。
 本講座では、自然現象を数学的に理解することを目的として、フラクタルや分岐理論といった数学的概念を、結晶成長や動物の模様などの身近な自己組織化パターンを例に、計算機シミュレーションと演習問題を用いながら説明します。また、計算機を用いて自己組織化パターンを再現する方法にも簡単に触れます。

極小モデル理論の発展     川北 真之

 代数幾何学の扱う対象は、代数多様体と呼ばれる、連立多項式の共通零点集合として定義される図形です。極小モデル理論とは、変数変換で写り合う代数多様体たちを本質的に同じものと捉え、各々の中から代表的な代数多様体を抽出する理論です。抽出の過程で多様体上の余計な曲線を収縮させるのですが、収縮によって悪い特異点を持つ多様体が生じます。それを回復させる操作がフリップと呼ばれる変換で、極小モデル理論において中心的な役割を果たします。3次元極小モデル理論は森によるフリップの存在を中心として90年代に完成しましたが、その高次元化は暫く模索段階でした。ところが2006年、ビルカー、カッシーニ、ヘイコン、マッカーナンは一般次元のフリップの存在を証明し、極小モデル理論は大きな前進を遂げまし た。講座では、このような極小モデル理論の最近の発展を、わかりやすく紹介します。

2009年7月30日-8月2日(第31回)


ディンキン図式をめぐって -- 数学におけるプラトン哲学  中島 啓

紀元前の哲学者プラトンは、正多面体が5種類しかないことを宇宙の基本原理としたそうです。現代数学のいろいろな分野に、この正多面体がディンキン図形として現れています。一次分数変換のなす有限群、リー環の分類、単純特異点の分類、箙の直既約表現の分類などがその例です。そして、これらの間にすぐには分からないが、隠された深い関係があることが次第に明かにされつつあります。これを数学におけるプラトン哲学と呼んでいます。この講義では、小学生にも分かると思われるクラスター代数の例から始めて、線形代数を知っていれば分かると思われる箙の表現論を紹介し、プラトン哲学を少し味わっていただこうと思っています。

『数学』を数学的に考える     照井 一成

数学にはいったい何ができて何ができないのだろうか。その可能性と限界を知りたい。そのために数学者の行う活動(定理を証明したり、反例を考案したり)を数学的に分析するのがメタ数学、ないしは数学基礎論と呼ばれる分野である。

本講義では、当分野における古典的な成果であるゲーデルの不完全性定理とその周辺について概説する。それが示唆するのは数学の本質的な限界であると同時に開かれた可能性であり、確固たる土台の非存在であると同時に諸理論が織りなす空間の豊饒さである。

方針としては算術階層に重点をおき、不完全性やさまざまな決定不能問題をその中に位置づけていく形で、統一的な解説を行う予定である。

多品種流の話     平井 広志

2012年5月2日水曜日

中世ヨーロッパの風景 「紋章について」


中世ヨーロッパの風景 「紋章について」

文責:左馬

「沈んだ地色に置いてこそ、輝く黄金も映えるもの、……」
                   (『ヘンリー四世』第一部・第一幕二場)

0.紋章への誘い

 中世の絵画に登場する騎士たちは、特徴的なマークを描いた楯をもっています。この華麗なマークを「紋章」ということは周知のとおりですが、中世ヨーロッパ風の世界で紋章を小道具として使いこなせるとしたら、雰囲気づくりにもってこいです。

 たとえば、紋章旗に導かれ、軍装にも見目鮮やかな紋章を染めぬいた騎士団の隊伍が行進していくシーンはどうでしょう? また、愁い顔の伯爵が書状をしたため、印章指輪をとりだし、封蝋に紋章を刻印するシーンはどうでしょうか?

 しかし、架空の紋章を登場させるにしても、白紙の楯型の上に何のマークを何色でどう描けばいいのか、正確なルールを知っている人は少ないでしょう。どうせ架空だから、と適当にごまかしてもいいのですけれど。たかが紋章、されど紋章、ただのマークと侮るなかれ、紋章の構成には裏づけとなる歴史的理由があったのです。

 この文章では、その紋章の基礎について説明します。
 あまり詳細なところまでは踏み込みませんが、どうぞご一読ください。

1.紋章の要素

 ものの本によれば、紋章とは何かを簡単にいうと、

「中世ヨーロッパのキリスト教支配の『貴族社会』に始まり、『楯』にそれぞれ『個人』を識別できるシンボルを描いた『世襲的制度』」

と要約できるそうです。

 西洋の紋章は、戦場の騎士たちが、敵味方の区別をつけるために用いたシンボルとして始まりました。また、部下たちが指示を見て取れるよう、指揮官を目立たせる印としても重要でした。紋章をつかう資格は、騎士すなわち『貴族』に与えられたのです。

 紋章は『楯』の形に描かれるのが基本です。甲冑の騎士をどこの誰であるか見分けるためには、かならず戦場に持ってくる楯にシンボルを描くのが最適だったからです。14世紀に入ると、陣羽織(surcoat)や馬の外被い(horse trapper)にも紋章と同じ図形が描かれるようになります。ちなみに、英語では紋章をコート・オブ・アームズ(coat of arms)と呼びますが、これは「衣(coat)に描いた武具(arms;楯)」という意味です。単に省略してアームズ(arms)ともいいます。

 日本の家紋では、同じ家を示す紋章は(武家紋をのぞいて)同一です。しかし、西洋では『個人』を識別できるよう、親子・兄弟でも別のマークをつける方法をとります。後ほど説明しますが、「同一紋章の禁止」という鉄則があるのです。親子間でも区別するのですから、他人が自分と同じ紋章を使っていることが分かれば一大事。紋章裁判所(Court of Chivalry)に訴えて紋章の先有権を争う事例は、中世に珍しくありません。

 楯に描かれた個人を示すシンボルというだけであれば、ギリシャ・ローマ以前にまで遡ることができますが。代々継承された実績がなければ紋章(arms)とは認めず、エンブレム(emblem)と呼んで区別することになっています。『世襲的制度』として継承されるシンボルが現れるのは10世紀ぐらいからという点で、紋章学者の意見は一致しています。
(ところで、世界中でもヨーロッパ諸国と「日本」だけが伝統のある紋章を持っている、ということを知っていましたか? これも「継承性があるかどうか」が根拠になっているのです。)
 継承された実績のある紋章は、ドイツのものが最古で、1010年の記録がある墓石に残されています。11世紀末につくられたバイユーのタペストリー(Bayeux tapestry)は、描かれたシンボルと特定人物の対応がゆるく、継承された実績もないため、この時期イギリス・フランスには紋章がなかったことを証明する史料です。ドイツからイギリス・フランスに紋章が普及したのは12世紀のことで、十字軍遠征と騎馬槍試合が大いに紋章の必要性を高めたためだと解されています。

 ちなみに西洋の紋章には、個人以外にも、国家・都市・教会・大学・同業組合(ギルド)・聖職者・騎士団長・市長など、法人や職位のものがたくさんあります。団体最初の創立者や領主の紋章を使い、後に独自の紋章として発展していきました。これらは個人の所有ではありませんが、紋章として認められています。

2.紋章のルール・用語

基礎的なルール・用語について説明します。

(1)同一紋章の禁止

親子間でも同じ紋章を使ってはいけない、と先に述べました。 これは紋章第一の鉄則で、正確には、

「同一国内または同一主権領内において、二つ以上の同一紋章があってはならない」

というルールです。 同じ家に複数の兄弟がいれば、長男以下の紋章には、父の紋章に長男・次男……であるという印(ケイデンシー・マークcadency mark)を加えて区別します。これをディファレンシング(後述)といいます。父が他界すれば長男だけが父のマークを継承し、次男以下はそのままマークを変えず、分家の紋章として継承していきます。

(2)楯型(escucheon)

 初期の紋章は、実用のものと同じく縦に細長いタイプでした。甲冑の届かない裾まわりを防護するためです。形状としては、卵形・扁桃形がありました。
 一般的なヒーター・アイロン・タイプ(heater iron type)が出てくるのは、もう少し後代でのことです。逆砲弾型とか、アイロンをひっくり返して裏からみた形というと、お分かりいただけるでしょうか。上辺が水平で、左右の線が下方で丸みを帯びて細くなり、下端が船の舳先のように尖っている楯型です。
 これが標準形で、デザイナーや各国ごとに異なる楯型も考案されました。フランス・タイプは四角に近く、ドイツ・タイプは右側に凹みがあり、イタリア・タイプは楕円型、などなど。これらはファッションのようなもので、各国で様々に入り交じって用いられたため、楯の形だけで使用者の国籍を決めることはできません。
 また特別な場合に、聖職者が馬頭型、婦人が菱形の楯型を使うこともありました。

2012年5月1日火曜日

カロリーコントロールdeダイエット: ラーメン・そば・うどん(麺・めん類)のカロリー一覧表


何故太るのか? それは、摂取カロリーより消費カロリーの方が多いからです。
消費されなかったカロリーは中性脂肪として体に蓄えられます。

摂取カロリー>消費カロリー⇒太る
摂取カロリー=消費カロリー⇒体重維持
摂取カロリー<消費カロリー⇒痩せる(ダイエット)

摂取カロリーは食事です。
そこで食べ物のカロリーを知る必要があります。