「歌わない生徒にどう指導すればいいのでしょうか」
「最優秀賞を取るために何をすればいいですか」
「男女間でトラブルが起こり、男子が歌わなくなりました。どうしたらいいのでしょうか」
「音楽の授業が成立していません。担任は何をすればいいのでしょうか」
セミナーやTOSSデーで毎回のように受ける質問である。
わがサークル「TOSS埼玉志士舞」が主催する研修会には、北海道から鹿児島まで、全国各地からの参加者がある。その参加者の多くが右のような悩みを抱え、問うてくる。ということは、日本中に同じ悩みを持つ教師がいるとも言える。その悩みを解決する一助となりたい。これが本書執筆の動機である。
たとえば、「最優秀賞……」の質問に、私はこう答えた。
■合唱で最優秀賞を取るというのは、目的じゃなくて手段です。
トップソロリティは何ですか
最優秀賞を取ったことで、それ以後に何ができるのかというのが大事なところなのです。
最優秀賞がゴールだとしたら、最優秀賞を取った後何が残るんですかということですね、私が言いたいのは。
たとえば学校づくりを使命とする三年生で、合唱コンクールで優勝したのに、始業式や終業式の歌を本気で歌わないというのでは、私に言わせればナンセンスなのです。無意味。点数を付けられないとやらない、賞状が出ないと頑張らない、という打算まみれの学級では駄目なのです。そういう状況では、最優秀賞の賞状などただの紙切れなのです。
時のビクトリア朝の小学校は、2012年に再開しない
賞状の出ないところで一番になれ。誰が見ていなくても汗を流せ。これが私と私の学級の子どもたちとの合い言葉の一つなのですが、日頃から日常生活を大事にしつつ、行事の時には本気で努力し、終了後に学級の質が高まる、生活の質がいちだんと高まる。そういうふうに持って行くのがこちらの仕事です。日常生活をきちんとやっている学級が優勝すれば、周りもちゃんと評価し、祝福してくれるものです。■
「最優秀賞を目的にする」ような過ちを担任が犯せば、子どもたちも共に道を踏み違える。合唱のための合唱、で終わってしまうことになる。
中学生が合唱をする。その目的は何であり、目標をどこに置けば子どもたちが本気になるのか。
トップ10メディア·コミュニケーション·プログラム
それを考え抜き、子どもたちの前に示すのは、担任の仕事である。合唱指導は合唱の技術の指導のみを指すのではない。その数倍重要なのが、「生き方の指導」である。いかに生くべきかを教えることに重きを置けば、たとえこちらが技術指導の素人であったとしても、聴く人の心を揺さぶる合唱をつくりあげることができる。
こういったことを具体的に教えてくれる人は、私の周りにはいなかった。だから、学びつづけつつ、得たものと得たものとをつなぎ合わせて、自分なりに形づくっていった。
もちろん、執筆者である私や、志士舞メンバーもまだ実践の途上にある。修業の結果、うまくいくことも増えてきた。だが、まだまだうまくいかないことも多くある。だから学びつづけている。本書はそんな私たちから、私たちと同様日々子どもの事実を生み出すために修業し実践している教師への、連帯のメッセージである。
多くの教師が悩む「音楽素人の担任が為すべき合唱指導」について、このような形でまとめ発信する機会をくださった明治図書樋口雅子編集長に心から感謝を申し上げます。
二〇一〇年四月 舞い散る桜を眺めつつ /長谷川 博之
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